各 位
この度、発生した東北関東大震災で被災された方々には心よりお見舞いを申し上げます。
当事務所でも書棚やキャビネットが倒れ、書類が散乱しましたが、事務所職員、皆の家族共々 大過なく無事でありました。地震の夜は帰宅できない職員と事務所で一夜を明かしました。「もう止んでくれ」との恐怖の淵からの願いも空しく、余震は断続的に続き、テレビから放映される惨状に目を覆いながら、眠れぬ夜を「怒らないこと2」(サンガ新書)を読み返して過ごしました。あらゆる状況の中で変えられるものは自分だけ、という思いを強く抱きました。
今後、日本全体が厳しい局面に立たされる中、皆様のご無事と、地震の沈静化、並びに一日も早い復旧復興を心より祈念しております。
多勢 陽一
「怒らないこと2」から琴線に触れた部分をご紹介させて頂きます。(23.03.13)
●人間というものは、無数に生まれては消えてゆく、生まれては消えてゆく感覚に対して、まとめて「自分」だと思い込んでいます。「自分という個体」として「固定したなにか」があると思い込んでいます。それらはすべて錯覚です。生命の法則として、どうしても「私という確固たる存在がいる」という錯覚が生まれるのです。
●「自分という何かが存在する」と思い込むと、見るものや聞く音、あらゆることが自分で管理できないから、次から次へと不安と怒りが湧いてくるのです。
●人間は自我という幻覚から「私は究極的な価値」と思ってその気持ちで生きているのです。すべての命は「われこそ究極的な価値があるぞ」と思っています。
●「私はこうなってほしい、ああなってほしい」「世界はこうなってほしい」「家族はこうなってほしい」「私の希望通りに変化していってほしい」そういう極まりのない無知に陥ったことを平気で言います。さらにその愚かさにまったく気づかない。
●自我・エゴというのは、ややこしいです。自分の計画通りいくと気分が良いのです。見たいものだけ見て、聞きたいものだけ聞けたら気分が良い。住みたいところに住めるなら気分は良いのですが、それを実現するために待ち構えているのは、並大抵の苦しみではありません。
●「われわれは自我が錯覚であるにも関わらず、その錯覚の自我を土台・根本原因にして、自我・錯覚のために生きている。だから結果として、生きる道は、一貫して怒りに狂ってしまう。その怒りを他人に表現しようがしまいが、自分を破壊してしまう」という人生の真理を理解してください。
●新しい人生論は「適度・適量を知る」「余分なものはカットする」自分で管理・管轄できる範囲です。管理しすぎても自己破壊ですし、管理できなくても自己破壊です。節度・適度を知れば、無限の苦しみが適度の苦しみになります。
●本当は「自分」というのはただ流れるだけです。聴覚が流れて消えていく。感覚が流れて消えていく。寒くなれば寒いという感じが流れて消えていく。暑くなると暑いという感じが流れて消えていく。自分では何も管理できません。ここに割り込んでくる「私」は妄想概念です。
●「自我は錯覚なのだから、我は張れるものではない」何か欲しいと思った時、「必要」と「欲しい」の差をつけてみる。必要以上に取らない、それが正しい謙虚な態度です。
●すべての生命が自分と同じように本気で苦しんでいるのだから一切の生命を慈しむことです。
●「他の生命で生かされています」「おかげさま」
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