〜明日の繁栄へのパートナー〜 東京GODO会計
<< December 2011 | 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 >>

「消費税はどこへゆく,のだ?総理!」

 

税と社会保障の一体改革の柱として消費税率10%への引き上げが取り立たされているが、問題は税率引き上げだけには止まらない。

 消費税は構造上、納税者は最終消費者であり、納税義務者が事業者となっている。しかし国は、平成15年の総額表示導入時に「消費税額を消費者に対して明示する必然性は存在しない。消費税相当額は、消費者に対して提示する価格の一部にすぎないのである。」と答弁し、事業者に課せられる消費税相当額は、コストとして財貨・サービスの販売価格に織り込まれて転嫁され、最終的には消費者が負担することが予定されているにすぎない、として間接消費税としての性格をより明確にさせた。転嫁するもしないも事業者の自由意思と言っているのだ。

 「最終的には消費者が負担することが予定されているにすぎない」と言われても、このデフレ経済下で、「より安く」という消費者の求めに応じ安値競争が繰り返されれば、消費税は値引額の中に霞んでしまう。最終消費価格が市場原理で決められる以上、結局は取引弱者である中小事業者が消費税を被ることになりはしないか、単なる税率引き上げは事業者の利益を飛ばしかねない。価格転嫁の問題を棚に上げて、消費税率だけ引き上げるのは片手落ちではないか。

我々、中小事業者はきちんと消費税を価格転嫁できる法制化を望んでいる,のだ〜総理

 

 お問合わせ 東京GODO会計 03-3684-2514

       tase‐yoichi@tkcnf.or.jp


今月のコラム | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

「税務調査0件」

 

税務署の事業年度である平成227月から236月までの一年間、当事務所と契約を頂いている関与先企業の税務調査なし、という結果でした。法人税の税務調査の場合、全国で毎年14万件程度の税務調査が実施され、調査により3000億円を超える税額が追徴課税されている実態を考えれば、税務調査0件という出来事は何とも嬉しい限りです。

これもひとえに関与先企業の経理担当の皆様の会計業務に対する真摯な取り組みと経営者の皆様の税務に対する深いご理解の賜物と感謝しております。

 当事務所では税理士法による書面添付という制度を積極的に推進しており、これが税務調査0件に繋がったと確信しております。

書面添付は企業の会計処理の正確性を確認し算出した納税額に間違いのないことを証明した書類を税務申告書に添付する制度で、これを添付した場合、事前に税理士に意見を聴取しなければ税務調査が出来ないことになっています。当事務所の関与先企業の70%にこの書面を添付して税務申告書を提出させて頂いており、税務当局からも高い評価を頂いております。

 東日本大震災の復興財源や税と社会保障の一体改革など国民の税負担への関心が高まっておりますが、税金は安心安全な国民生活を送るための国家財政の充足である反面、国民の財産権への侵害という二律背反の性格を有しています。この分水嶺に租税法律主義があり、税金は法律に従って1円でも多く徴税されることも、1円でも少なく納税することも許されない。

お問合わせ 東京GODO会計 03-3684-2514

       tase‐yoichi@tkcnf.or.jp


今月のコラム | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

「借金」

 

『借金は己れの金ではございませぬ。危急をしのぐ方便でございますゆえ、どこまでも、これを返済することによって、危急が消え去り、ひいてはその人の信用も却って増すのでございます』(剣客商売 金貸し幸右衛門より)

          ☆

 小説 剣客商売の舞台は250年前の江戸、田沼意次時代。意次が老中となり、幕政改革を手掛け、悪化する幕府の財政赤字を食い止めるべく、株仲間の結成、銅の専売制、鉱山、蝦夷地の開発などの政策を実施。財政は改善し景気も良くなったものの、天明の大飢饉への対策に失敗し事態を悪化させた。しかし、町人、役人の生活が金銭中心のものとなり、初期の資本主義が形成された。

剣客商売は昭和のインフレ経済が進行する中、世の中にお金が溢れ返っていた頃に発表された。作者の池波正太郎は人々の借金に対する罪悪感が薄れてゆく風潮を憂い「幸右衛門」にこのセリフを吐かせたのだろう。

          ☆

さて今夏は、南欧諸国の財政事情の悪化、アメリカ国債の評価格付けの引き下げで金融不安を煽り、投機マネーは穀物・原油・金に流れ、ユーロ・ドルを嫌って円が買われ歴史的な超円高を招いている。借金まみれの日本の国債格付けも同じく引き下げられたが、こちらにはマーケットは無反応。円安誘導には円売りドル買いの市場介入をするよりも、「幸右衛門」には叱られそうだが財政規律など無視した国債乱発の方が手っ取り早いのでは、と考えてしまう。


お問合わせ 東京GODO会計 03-3684-2514

       tase‐yoichi@tkcnf.or.jp



今月のコラム | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

「復興」

 

 政府は、今後5年間で新たに13兆円を投入する東日本大震災からの復興基本方針を決定した。地震・津波・原発という三重苦に喘ぐ被災者は一日も早い着手を待ちわびているはずだ。この惨劇を二度と繰り返さないためのインフラ整備を考えれば13兆円の投資も必要であろう。その財源については一人一人の国民が負担しなければならないことも覚悟している。

 それなのに財源として発行する復興債の償還期限は決められず、償還財源についても民主党の強い反対を受け、所得税や法人税、消費税など基幹税による10兆円程度の臨時増税は明記できず「時限的な税制措置」と記すにとどまった。23年度一般会計にしても予算執行の裏付けとなる税制改正法案や赤字国債発行法案を分離させて成立させ、未だに赤字国債発行法案を通すことができないでいる。震災復興にまで「収入の裏付けのないまま、取り合えず、お金だけ使う」という無責任な財政運営手法を踏襲するのだろうか。

 一刻の猶予もならぬ今、国会議員諸侯は何を恐れているのだろうか。国会議員でいたい、政権与党でありたい、というわが身の保身だけか。

 震災復興に限らず、今の日本が直面している様々な課題の解決には何十年という長い期間と少なからぬ痛みが伴うことに多くの国民は気付いている。この険しい道程を引っ張ってくれる先見性のあるリーダーこそ必要であって、腰が引けて先の見通せない国会議員なぞ何の必要があろうか。

お問合わせ 東京GODO会計 03-3684-2514

       tase‐yoichi@tkcnf.or.jp


今月のコラム | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

「人生は情熱だ」

「生きるというのは、瞬間瞬間に情熱をほとばしらせて、

現在に充実することだ。

過去にこだわったり、未来でごまかすなんて根性では、

現在を本当に生きることはできない。」
 

(岡本 太郎 情熱の言霊)

 岡本太郎のこの詩は時間の本質を掴んでおり、さすが天才だな、と感心させられた。凡人は時間の概念を過去−現在−未来へと、生まれた時から死に向かって前方へ流れてゆくものと思いがちである。しかし時間は現在しか存在せず流れない。人は過去や未来を思うことで時間が流れていると錯覚してしまう。          いくら思っても過ぎ去った過去を取り戻すことはできず、未来は今だ手が届かない。人が自由にできるのは現在という瞬間だけで、時間を貯蓄することも出来ず、時間は万人に与えられた極めて平等なものだ。

 岡本太郎は「いつか、なんて絶対ない。いつかあるものなら、今、絶対あるんだ。今ないものは、将来にも絶対ない」と語り、瞬間の可能性を徹底的に追及しようとしていた。

 「夢をみる事は青春の特権だ。

これは何も暦の上の年齢とは関係ない。

十代でも、

どうしようもない年寄りもいるし、

七十、八十になってもハツラツして

夢を見続けている若者もいる。」



 お問合わせ 東京GODO会計 03-3684-2514

       tase‐yoichi@tkcnf.or.jp


今月のコラム | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

「国家」

 

 東日本大震災、福島原発事故の報道では、「国の責任」「国の補償」という言葉が繰り返され、あらためて「国家とは何か」について考えさせられます。

管首相が「国が責任を持って補償します」と言った所で、いずれ任期が到来すれば辞めなければならず本人が最後まで責任は取れないだろうし、裏庭に金のなる木がある訳じゃなし、はて、最後まで責任を持って補償するのは誰…。

国家それ自体が単独で存在するものでは有り得ず、国家を構成している我々一人一人が国家そのものである限り、全ての国民が今回の天災と人災を真摯に受け止め、1128,056,026人の責任と補償が存在することを自覚しなければ。
★          ★         ★        

『自分が不自由なのを他人のせいにして、他人や社会(国家)を責めるのが、多くの大人のあり様だ。自分のことがうまくゆかないのは他人のせいだ、社会が悪い、とにかく社会が悪いのだと思っている大人をよく見かけるね。だけど本当におかしいと思わないか。だって社会なんて、どこにも存在していないもの。社会は一人一人の人間の集まりにすぎないのだから、一人一人の人間が善くなる以外に、社会がよくなる方法なんてない。社会をよくしたいと本当に思うなら、他人が悪いと責める前に、自分が善くならなければならないはずだ。必要なのは、理想的な社会ではなくて、理想的な人間だ。社会を構成する一人一人が理想的な人間になる以外に、理想社会の実現なんて不可能だということに、どうゆう訳か、人間は気づかないんだね』        (「14歳の君へ」池田晶子著より)

お問合わせ 東京GODO会計 03-3684-2514

       tase‐yoichi@tkcnf.or.jp




今月のコラム | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

「喉元過ぎても、忘れない」

 すさまじい大地震があった。

その様はひととおりではなかった。山が崩れて河を埋め、津波が起こって陸地を水が浸した。土は裂けて地下水が湧き、山の岩石は割れて谷に転げ落ちた。なぎさを漕ぐ船は波間に漂い、道行く馬は足元が定まらない。都の内外においては、各地各所の社寺の建造物で、無事なものは一つもなかった。

 あるものは崩れ、あるものは倒れた。塵が立ちのぼって、もうもうたる煙のように見えた。地面が動き、家が壊れる音は雷のように轟いた。家の中にいると、今にも押し潰されそうになる。外に走り出ると、地面が割れ、そこに落ちかねない。羽のない身で空を飛ぶこともならない。竜であれば雲に乗れようものを。恐ろしいものの中で最も恐るべきは、実にこの地震であったと痛感した。

その余震は三ヶ月ほども続いただろうか。

(中略)この地震の当座は、人は皆、世のはかなさを言い立てて、いささか執着心なども薄らぐように見えたが、月日がたち、年を経るにつれて、そのことを口にする人はいなくなった。
  (方丈記「元暦の地震」より)

 

元暦の地震は118579日の正午頃に発生したと伝えられる。鴨長明が、「方丈記」を完成させたであろう1215年までの僅か30年の歳月で、震災の記憶が人々から遠のいたことになる。

「仏の教え賜ふおもむきは、事にふれて執心なかれとなり」と方丈記は、たえず変化する無常の世の中で執着心を捨てる文学ではあるが、東日本大震災の記憶は語り継ぎ、忘れまい。
 お問合わせ 東京GODO会計 03-3684-2514

       tase‐yoichi@tkcnf.or.jp


今月のコラム | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

「幸せはいつも自分の心が決める」

 

震災がなければ、暖かな陽光のもと桜が咲き新緑が萌え、生命の躍動が感じられる季節だが…。いや、心一つで輝くはず。

 

『幸福は、すべての人が必ず求めているものだ。

幸福であるとは、心が幸福であるということ以外ではあり得ない。人がうらやむような生活をしていても、その人の心が幸福であるとは限らない。逆に、心さえ幸福なら、人から見ていかに不幸に見える生活をしていても、その人は幸福だ。他人からどう見られようとも、自分の幸福とは関係がない。これは当たり前のことじゃないか。幸福を他人と比べられると思うことで、人は自分を不幸にするんだ。

幸福な心を手に入れるためには、幸福な心になればいい。人は、幸福な心になりさえすれば、誰も必ず幸福になれるんだ。心が幸福でないままに、外に幸福を求めようとするから、幸福になるのが難しくなっているだけなんだ。

自分を認め、他人をねたまず、何かを誰かのせいにもしない。すべてそのまま受け容れる。そういう心が不幸でない幸福の心だ。人は心で不幸になっている、自分で自分を不幸にしていると気づくなら、君の心はきっと幸福になるはずだ。

そんなこととても出来ません、て言いたくなるよね。だって、不幸は外からやって来るものだもの、私にはどうしようもないものだもの、とね。でも、外からやって来るものを受け止めるのは、やっぱり君の心でしかないよね。幸福も不幸もすべて君の心次第なんだよ。』 

〜「14歳の君へ」(池田晶子著)より

お問合わせ 東京GODO会計 03-3684-2514

       tase‐yoichi@tkcnf.or.jp



今月のコラム | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

皆様へ

 

各 位

この度、発生した東北関東大震災で被災された方々には心よりお見舞いを申し上げます。

当事務所でも書棚やキャビネットが倒れ、書類が散乱しましたが、事務所職員、皆の家族共々  大過なく無事でありました。地震の夜は帰宅できない職員と事務所で一夜を明かしました。「もう止んでくれ」との恐怖の淵からの願いも空しく、余震は断続的に続き、テレビから放映される惨状に目を覆いながら、眠れぬ夜を「怒らないこと2」(サンガ新書)を読み返して過ごしました。あらゆる状況の中で変えられるものは自分だけ、という思いを強く抱きました。

今後、日本全体が厳しい局面に立たされる中、皆様のご無事と、地震の沈静化、並びに一日も早い復旧復興を心より祈念しております。                     
                         多勢 陽一

「怒らないこと2」から琴線に触れた部分をご紹介させて頂きます。(23.03.13

●人間というものは、無数に生まれては消えてゆく、生まれては消えてゆく感覚に対して、まとめて「自分」だと思い込んでいます。「自分という個体」として「固定したなにか」があると思い込んでいます。それらはすべて錯覚です。生命の法則として、どうしても「私という確固たる存在がいる」という錯覚が生まれるのです。

●「自分という何かが存在する」と思い込むと、見るものや聞く音、あらゆることが自分で管理できないから、次から次へと不安と怒りが湧いてくるのです。

●人間は自我という幻覚から「私は究極的な価値」と思ってその気持ちで生きているのです。すべての命は「われこそ究極的な価値があるぞ」と思っています。

●「私はこうなってほしい、ああなってほしい」「世界はこうなってほしい」「家族はこうなってほしい」「私の希望通りに変化していってほしい」そういう極まりのない無知に陥ったことを平気で言います。さらにその愚かさにまったく気づかない。

●自我・エゴというのは、ややこしいです。自分の計画通りいくと気分が良いのです。見たいものだけ見て、聞きたいものだけ聞けたら気分が良い。住みたいところに住めるなら気分は良いのですが、それを実現するために待ち構えているのは、並大抵の苦しみではありません。

●「われわれは自我が錯覚であるにも関わらず、その錯覚の自我を土台・根本原因にして、自我・錯覚のために生きている。だから結果として、生きる道は、一貫して怒りに狂ってしまう。その怒りを他人に表現しようがしまいが、自分を破壊してしまう」という人生の真理を理解してください。

●新しい人生論は「適度・適量を知る」「余分なものはカットする」自分で管理・管轄できる範囲です。管理しすぎても自己破壊ですし、管理できなくても自己破壊です。節度・適度を知れば、無限の苦しみが適度の苦しみになります。

●本当は「自分」というのはただ流れるだけです。聴覚が流れて消えていく。感覚が流れて消えていく。寒くなれば寒いという感じが流れて消えていく。暑くなると暑いという感じが流れて消えていく。自分では何も管理できません。ここに割り込んでくる「私」は妄想概念です。

●「自我は錯覚なのだから、我は張れるものではない」何か欲しいと思った時、「必要」と「欲しい」の差をつけてみる。必要以上に取らない、それが正しい謙虚な態度です。

●すべての生命が自分と同じように本気で苦しんでいるのだから一切の生命を慈しむことです。

●「他の生命で生かされています」「おかげさま」


お問合わせ 東京GODO会計 03-3684-2514

       tase‐yoichi@tkcnf.or.jp


 
今月のコラム | permalink | comments(0) | trackbacks(0)

「なぜ怒る?」

 

 私たちは「苦は嫌だ」と思っています。そして「苦が嫌だから、こうしよう」という希望によって、私たちは寝たり起きたりするし、仕事もするし、運動もするし、ごはんも食べるし、人とのコミュニケーションもとります。生きるという仕事は、あらゆることすべてが「苦」と「苦は嫌」という働きで成り立っているのです。

 つねに無常で変化し続ける「苦」という感覚があり、その「苦」の感覚が嫌で、「変えなくちゃいけない」という希望があります。その二つの働きが「生きること」になるのです。

 もし、「苦が楽しい」と思ったら死んでしまいます。ですから「苦が嫌だ」と思わないと生きていられません。この「嫌だ」という反応が「怒り」です。これがいちばん基本的な怒りのポイントです。

 つまり、「怒りをもたずに生きることはできない」のです。人は、生命は、本来的にずーっと「怒り」を持ち続けているのです。生きるとは、そのように基本的に怒ってしまう構造にはめられていることなのです。

 お釈迦さまは、この真理(苦聖諦)を理解した上で「怒らない智慧を開発すること」「一切の生命を慈しむこと(すべての生命が自分と同じように本気で苦しんでいるのだから)」と説いています。(怒らないこと2「サンガ新書」より)

「生=怒り」なのに「怒らない智慧」とは…。これはお釈迦さまほどの天才が六年に渡る麻麦の苦行の末にたどり着いた境地。四苦八苦の私は、まずは怒りを治めるところから始めてみます。

今月のコラム | permalink | comments(0) | trackbacks(0)